横浜の土地はこうしてできた!

横浜の土地は、典型的な「平野」で平野をなしているのは、低地・台地・丘陵の三つです。横浜にはいやになるほど凸凹が多く、「山」が多いといわれますが、山と呼んでいるのは「丘陵」か「台地」で、丹沢のような1000メートルをこえる「山地」や、富士山のような「火山」とはまったく違うものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

台地にある学校の場合

 丘陵地帯と同じように高台でも、上をまっすぐなバス通りがひけるほど平らなところは「台地」である場合が多いのです。

 ビデオでも紹介しているように、台地は今から12万年前後に氷河期と氷河期の間で暖かく海面の高かった時代に海底でつもった砂やどろの層(下末吉層)が土台になっています。

 その上に箱根、富士からやってきた火山灰である赤土(ローム層)がぶあつくつもっています。

 それぞれの層の粒の様子をよく観察してみましょう。

 

丘陵地帯にある学校の場合

 ビデオ「横浜地層たんけん」では、よりわかりやすく説明するために、平地にある学校(鶴見区の入船小学校)と、台地の上にある学校(旭区の希望ケ丘小学校)をモデルに描いています。実際には横浜の土地は、でこぼこした山が続く丘陵(きゅうりょう)の地帯も多いのです。

  

横浜の丘陵地帯の大部分は「多摩丘陵」(たまきゅりょう)と呼ばれるもので、東京都の奥地から三浦半島まで続いているでこぼこ地帯です。しかし、この見なれた風景をよくみてください。このでこぼこの山の高さは以外とほぼ同じなのではないでしょうか?

 

この土地のでき方は、簡単に言うと「今の台地より古い時代にできた台地」で、台地のように上が平らでないのはあまりにも古いので(20万年以上前に陸になっている)雨・風・流水にけずられ平らさがなくなったものです。それでも昔の台地のなごりで高さはほぼそろっていたりします。

 

平地(低地)にある学校の場合

  海や川に近く、平らな土地はせいぜいこの数千年の、新しい時代にできたものです。六千年前の縄文時代には海面は今より数メートル高かったので、今の低地の部分はほとんど海でした。そこに鶴見川、かたびら川、大岡川などの川が土砂を運び込み、埋めて立ててできたのがこの平らな土地です。

  面白いのはこの土地の下にはたいがい氷河期にできた谷がかくれているということです。海面が高かった時代と逆に、最後の氷河期(今から2万年前がピーク)には海面は今より100メートルも低く、遠い海に向かって流れる鶴見川、かたびら川、大岡川は縄文時代とかわって、川の上流にあたるため、速い流れはかたい上総層群の土地をけずって谷を作っていたのです。あなたの土地の下にかくれている「氷河期の谷」をさがしてみましょう。

 

 

  学校にある地下の地層を調べたときの標本を見てみましょう。下にいくほど何千年も何万年も昔にできた地層です。ですから、この標本はまさに、「この土地ができた遠い昔の世界からのタイムカプセル」であるわけです。